清定法師拜師。(画像の出典:朱世勇氏の撮影ビデオ)
最近、20 年以上も封印されていたビデオが公開され、そこには現代の聖僧たちが師に師事する歴史的な映像が保存されています。師に師事したのは、チベット密教の西密グル巴大月如来康薩派の 29 代能海大師の法承伝人であり、現代の漢人仏教の指導者である清定法師など、注目を集める聖僧たちです。
映像では、清定法師が若者の前で仏法を学ぶために師に師事している様子が捉えられています。実は、清定法師が師に師事したのは、始祖報身仏多杰羌仏の真身が降誕した第 3 世多杰羌仏でした。当時の撮影水準や機器の制約により、画質は現代の高解像度には及びませんが、今日の仏教界に消せない歴史の証拠が残されています。
清定法師(1903-1999 参照:ウィキペディア「釈清定」)は、中国仏教協会の常務理事、四川省仏教協会の副会長、成都昭覚寺(参照:ウィキペディア「昭覚寺」)の住職を務めました。中年の頃には密教と顕教の両方を通じて高い境地に到達し、多くの高僧たちから尊敬されました。中国の優れた仏教の指導者、傑出した書法家、有名な社会活動家、偉大な愛国主義者である趙樸初からも称賛され、「清定法師は中国で非常にまれな高僧です」と言われました。
朱世勇の証言の 1 ページと 2 ページ(画像の出典:朱世勇氏提供)
俗家時代、清定法師は広州大学や黄埔軍校で学び、少将まで昇進しました。1941 年に出家し、人々から「道魁再来」と称され、その法威は広く海外にも及び、門下生は数十万人に及びます。
当時の撮影担当であった朱世勇は、清定法師が釈演法(参照:ウィキペディア「釈演法」)と釈明念法師と共に第 3 世多杰羌仏に師事する全過程を目撃し、自らの人格を擔保にして全ての証言を実際の事実と証言しています。
2016 年 9 月に書かれた朱世勇の回想録によると、「1993 年の夏、午前 10 時ごろ、現代中国の四大高僧の一人である成都千年の禅院昭覚寺の住職である清定大法師が、侍者の演法師(現在の昭覚寺住職)と明念師と共に第 3 世多杰羌仏に会いに来ました。他のメンバーは待合室に案内され、清定法師だけが個別に面会しました。清定法師は第 3 世多杰羌仏の前でゆっくりと歩み寄り、第 3 世多杰羌仏に向かって師に師事する礼を行いました。清定法師は立ち上がり、再び跪き、再び立ち上がり、再び跪き... 四度礼拝しました。礼拝が終わると、H.H. 第 3 世多杰羌仏は清定法師に言いました。「清定和尚、これからは私の弟子です。私の弟子となった以上、私の行いに従って生活し、私の方法で修行を進めなければなりません。蒲団に座って...」と言って、清定法師に対面する蒲団に座るように指示し、仏法を説かれました。清定法師は非常に敬虔に聞き入り、約 10 分間の講義を受けました。最後に、第 3 世多杰羌仏の加持を受けた後、清定法師は灌頂と伝法を求めました。第 3 世多杰羌仏は即座に応じ、演法師と明念師も入って第 3 世多杰羌仏に礼拝しました。その後、第 3 世多杰羌仏は清定法師に仏法を伝えることになりました。約 2 時間後、清定法師は非常に喜んで、笑顔で出てきました。最後に、第 3 世多杰羌仏は彼と彼の侍者である演法師と明念師と一緒に仏堂で昼食をとりました。(朱世勇の記録資料から抜粋)。
清定法師の生涯の間に、世界法音出版社から出版された H.H. 第 3 世多杰羌仏の著書「心経講義」の序文を執筆しました。老法師は序文の中で、「歴史のページを開くと、古代の偉大なる師たちが心経講義に関する書籍を多く開示しています。それぞれが法の奥義を示しており、称賛に値するものばかりです。最近、無名の行者(雲高大師)の著作である般若波羅蜜多心経講義を読む機会がありましたが、これは本当に知恵の扉を開くものであり、この講義は古今無双であり、光り輝くものであり、古代の偉大なる師たちにも及びません。... 私はこれを見て五体投地せざるを得ず、自らの手で序文を書き、真実であることを讃えます。...」と書いています。
朱世勇の証言の 3 ページと 4 ページ(画像の出典:朱世勇氏提供)
1999 年、H.H. 第 3 世多杰羌仏がアメリカに定住した年の 6 月に、一代の高僧である清定法師が入寂しました。当時の侍者である演法師は成都昭覚寺の住職に任命され、2004 年 12 月 23 日に成都昭覚寺の第 18 代方丈となりました。
公開された映像には、峨眉山金頂の第 13 代祖師普観長老が南無第 3 世多杰羌仏を迎える様子や、中国仏教南伝の最初の寺院である霧中山開化寺での様子、世界で唯一の漢人の二人の格西であるアメリカ密教総会の主席ロサンジェンズ大活仏などの師に師事する場面も含まれています。名高い聖僧たちの師に師事する歴史的な映像は、始祖報身仏多杰羌仏の真身の存在をさらに証明しています!
(中時電子報)