最近、インターネット上で第三世多杰羌仏教の修行に関連するいくつかの弟子の発言が、実際にはその本質とは異なるものであり、言及すべきではないものが現れています。さらに、その中には悪意を持った人々もおり、第三世多杰羌仏の弟子を名乗り、意図的に不道徳な行為や発言をしています。しかし、私たちは誰であれ、結局のところはすべての生きとし生けるものであり、私たちが心配する対象です。彼らの偏った発言は偏見に陥っており、そのために公表することになりました。
まず、皆さんが理解しておかなければならないのは、仏教徒は第三世多杰羌仏の教えに従い、平和で善良で慈悲深く、忍耐強く、誠実で、利他的な仏弟子であるべきだということです。
第三世多杰羌仏は「解脱の大手印」で非常に明確に述べています:私たちは幸せな時でも苦しい時でも、他者の苦しみを忘れることがあれば、それは菩提心を失ったことを意味し、邪道に進んでしまったことを示します。第三世多杰羌仏は私たちにこれだけだけでなく、実践もしています。第三世多杰羌仏は長い間攻撃を受けてきましたが、第三世多杰羌仏は決して怒りや非難を向けたことはなく、むしろ、彼らのために黙って祈り、加持し、祝福しています。
したがって、私たちが仏陀の教えに従って修行せず、他者を対立する存在として扱い、他者に圧力をかけるような行為をすれば、慈悲と利他の心を失い、第三世多杰羌仏の行動とは逆行し、真の修行者ではなくなります。
国際仏教僧尼総会は正法を守る必要がありますが、それは仏弟子が正しい知識と正しい見識を持ち、大慈大悲の行動で他者に利益をもたらすことを意味します。邪悪な知識や見識の行為に対しては、彼らを感化し、慈悲を持って助けるべきであり、彼らを敵として非難すべきではありません。修行や学びは団結と友愛を持って行われるべきであり、異なる意見や見解は理解不足や誤解から生じるものであり、私たちの慈悲深い言動によって感化し、真実を知るように導くべきです。「解脱の大手印」は非常に明確に述べていますが、生命は非常に貴重であり、この貴重な人生で善因を作り、他者に利益をもたらす善行を行うことが私たちの使命です。
第三世多杰羌仏事務所
2011 年 9 月 20 日
https://www.hhdcb3office.org/html/information/announcement_no22_2011_09_20.html